ガラスの大地

詩や日記を書きます

日記 : 人が生きる

 

 

 

今日ロシアがウクライナに宣戦布告をした。

(断っておくが、僕は政治の話をする気は毛頭ないし話せるほどの知識もない)

EUだとかNATOだとかアメリカや中国の思惑だとか、多分たくさんの現実が重なって起きた出来事なんだろう。よくわからないけど。

 

僕の住む日本はあまりにも平和すぎて現実味が一切ない。聞く話によれば湾岸戦争が起きたときのニューヨーク市民も、自国のことなのに映画を見ているような感覚だったらしい。

それが他国のことで、しかもロシア・ウクライナについてなんて僕たち日本人はほとんど学んだことなんてないしもっと現実味がないのは当たり前なことだとも思う。

日本人は政治に興味がないだとか島国根性で排外的なんだとか、まあそんなことも関係しているのかもしれないけど、今日はそういう話ではない。

 

 

僕が日本に生まれて20年とちょっと経つが、あまりにいろいろなことが起きた。

両親が生まれてから50年とちょっとの間には、もっとたくさんのことが起きているだろう。

そのどれもが、何か極めて個人の間に発生して個人の内に終わるものではなかった。世界が狭くなって、すべてが密接につながるようになってしまったことで僕らの日常まで大きく狭まってしまった。

人生の選択肢は増えているように見えて、誰かが作ったルールを疑いもせず則って生きていくのだ。そのルールは自明の下に正しいから。

 

だからといって人生がおもしろくないとは思わない。自分はなにもしていないのに日々周りの景色は変わっていく。それだけですでに面白い。世界はたくさんの事件に満ち溢れていて、自分の行動次第でそれが関係してくるかしてこないか決められるのだ。(まあ本当に決められるかどうかはまた別の問題なのかもしれない)

 

そんな人生とかいうMMORPGは最高に面白い。あまりにもハードコアだが、イベント事には事欠かない。すべての人間がプレイヤーの神ゲーを僕たちはプレイしているのだ。