ガラスの大地

詩や日記を書きます

可解

 

 

 

車窓から覗く大きな月を眺めていると、僕らの辛さはますます大きくなる気がした。思い出と呼ぶには甚だ不愉快な記憶たちは、事あるごとに僕を責めたてる。その辛さを思い出す度、僕は喉元まで迫り上がった叫びを飲み込む。母が言っていた。現世の辛苦は前世に罪を重ねたからなのだと。そう思えば思うほど今僕の心にある出所不明の痛みが、とてつもなく理不尽なように思えてくるのだった。僕は好きに生きて理不尽に死ぬ。人としてあるべき姿のまま死ぬ。誰にも邪魔されない権利。前世の僕にだってそれは止められない、否定しようのない事実なのだ。あなたを、僕自身を、傷つけることは権利の一つだ。それを許すことも許さないことも。

だからどうか、僕の前に現れないでくれ。拒絶しようのない現実だけで僕たちには十分だ。それを見て見ぬふりをさせてくれ。逃げられるのなら、どこまでだって逃げていい。誰かの人生を背負う必要はない。頑張って生きる必要もない。僕らは好きに生きている。そして理不尽に死ぬのだから。

 

 

陽闇に座す

 

 


街は世界の凸凹を隠すように、10進数みたいに真っ直ぐ連なっている。

 


春の陽気に乗って香るクヌギの匂いは僕の孤独を強調したけれど、聳える家々が僕を一人にはしないのだった。

イヤホンではずっと希望の歌が流れていて、孤高に浸る暇もない。そこには道標がある。光るアナロジーを持って僕は歩いた。

 


我々は幸福の落とし子。

だからこそ痛覚に走るのは悲しみだけだった。

街並はそこに無言で在る。

忸怩たる思いを持つことは正義だ。

 

 

 

星々の規律と砂の鼓動。全ては一粒の思いから生まれるスライムみたいなものだ。

 


今日も朝まで一番星が輝いていた。

日記:モラトリアム終了

 

 

「新年度」という言葉に対し、これほどまでに爽やかさを感じないのは人生で初めてである。

 

去年の12月には就活も終わり、6年のモラトリアムに終止符を打つべく4月まで楽しみ尽くすつもりの僕だったが、12月時点で僕の青春は終わりを迎えていたように思う。

 

12月からの4ヶ月間には友人たちと飲みに行ったり、できるだけやりたいことをこなしてきたつもりだったが、人生最後の春休みと言われるこの4ヶ月間に何を成し遂げたのかと聞かれると答えに困ってしまうのだった。

 

大学を2回留年したという事実は、ついに3月31日の夜に実感として僕の心に重くのしかかっていた。6年間の大学生活は、友人にとても恵まれていたと心の底から言えるものだが、学問やこの社会については皆無といっていいほど何も学べていない。

 

からっぽの脳みそのまま社会に射出される自分のことを不甲斐ないと感じるし、何より恐れが僕を支配している。この6年は長すぎた。追加された2年の自由時間は、自ら選択したものではなく、勝手に与えられたものだ。それ以外の選択肢は僕にはなかった。

 

 

もう明日には社会人として歩き出さなくてはならないとなると、どうにも一歩を踏み出すのが億劫になってしまうのだった。

そう考えるうちに4月1日は来てしまった。

あと数時間のうちに僕は眠りにつき、早起きをして入社式に向かう。

 

周りの友人たちを見ていても、別に彼らも確固たる「大人として」の覚悟を持っているようには見えないが、僕から見たら彼らも立派な「大人」だ。仕事をしていけば変わっていくのだろうか。実感は後からついてくるものだと思ってはいるが、どうにも覚悟がない。

 

だからとりあえずは流されるままに生きてみようと思う。

僕の唯一の長所は顧みないことだ。

 

 

 

あ~

仕事したくね~

エイリアン

 

 

 

失われたはずの私の海を取り戻すために、環状8号線に自転車を漕ぎ出した。

私の声にならない悲鳴は宇宙では響かない。

 


後悔、無念、誰も何も知らず。

 


煌々と光るガソリンスタンドの灯が私の海を呼び戻しているような気がして少し立ち止まり、また振り返る。一生を捧げるには少しだけ暗い。

 


過ち、傷跡、誰も何も知らず。

 


バラバラにされた私のあれやこれやを背負い込んで、つぎはぎの昼夜。見知らぬ引力に導かれるまま道なき道を進む。海からはもう血が流れない気がする。

 


交歓、祝福、誰も何も知らず。

 


約束を違えたあなたを思って詩を書く。言葉にならない言葉を紡ぐ不器用な指を一本ずつ折っていく過程はどうにも気分がいい。贖罪を果たし、介錯を受け入れる。腹八分目まで飲み込んだ針が千本に達するまであと少しだ。

 


後悔、無念、誰も何も知らず。

過ち、傷跡、誰も何も知らず。

交歓、祝福、誰も何も知らず。

 

 

 

日記 : 人が生きる

 

 

 

今日ロシアがウクライナに宣戦布告をした。

(断っておくが、僕は政治の話をする気は毛頭ないし話せるほどの知識もない)

EUだとかNATOだとかアメリカや中国の思惑だとか、多分たくさんの現実が重なって起きた出来事なんだろう。よくわからないけど。

 

僕の住む日本はあまりにも平和すぎて現実味が一切ない。聞く話によれば湾岸戦争が起きたときのニューヨーク市民も、自国のことなのに映画を見ているような感覚だったらしい。

それが他国のことで、しかもロシア・ウクライナについてなんて僕たち日本人はほとんど学んだことなんてないしもっと現実味がないのは当たり前なことだとも思う。

日本人は政治に興味がないだとか島国根性で排外的なんだとか、まあそんなことも関係しているのかもしれないけど、今日はそういう話ではない。

 

 

僕が日本に生まれて20年とちょっと経つが、あまりにいろいろなことが起きた。

両親が生まれてから50年とちょっとの間には、もっとたくさんのことが起きているだろう。

そのどれもが、何か極めて個人の間に発生して個人の内に終わるものではなかった。世界が狭くなって、すべてが密接につながるようになってしまったことで僕らの日常まで大きく狭まってしまった。

人生の選択肢は増えているように見えて、誰かが作ったルールを疑いもせず則って生きていくのだ。そのルールは自明の下に正しいから。

 

だからといって人生がおもしろくないとは思わない。自分はなにもしていないのに日々周りの景色は変わっていく。それだけですでに面白い。世界はたくさんの事件に満ち溢れていて、自分の行動次第でそれが関係してくるかしてこないか決められるのだ。(まあ本当に決められるかどうかはまた別の問題なのかもしれない)

 

そんな人生とかいうMMORPGは最高に面白い。あまりにもハードコアだが、イベント事には事欠かない。すべての人間がプレイヤーの神ゲーを僕たちはプレイしているのだ。

 

f:id:sgnmkmirr:20220211030929j:image

肺を刺す2月の冷たい雪の匂いが僕を目覚めさせた。PCデスクの上には氷の溶け切ったアイスコーヒーが置かれていて、眠気覚ましに一気に飲み干したけれどまだ頭はボーッとしている。

窓の外を見やると昨晩から降り続く雪が、びしゃびしゃなものからふわふわなものへと移り変わっていた。予報では東京でも5センチ以上降り積もるらしいから、あの企業の説明会に行くのはやめにしようと思う。

 


僕は歯を磨き、顔を洗ってデスクの前に座って、昨日のあなたの言葉を思い出す。

 


「世界はたぶん、きっと、くそったれなままよ」

「命も物質も巡る連鎖の輪からは抜け出せないの。だからどう生きようと無駄なのかもね」

 


僕はそんな悲しいことがあってたまるものかと思った。

万物が流転するからって、森羅万象がそこ在るだけだなんて、生まれたことに意味がないなんて、そんなことは悲しすぎるから。

 


だから僕は夢を見る。きっとそれがこのくそったれな世界に残された、ただ一つのよすがだ。地球の裏側にまで届くよう叫ばせてくれ。僕は産まれてよかったと。

 


世界は幾千枚のタペストリーが折り重なってできた無限の博物館で、僕らはそれを織るしがない芸術家だ。誰もが夢を持ち、素敵な命を重ねる権利がある。命の意味こそ夢だ。

 


虹の上に登り、雲をソファにして、太陽と北風から生まれてから今までの話を聞こう。

巡り巡られる数億年の喜怒哀楽を全て僕らの讃歌にして。