ガラスの大地

詩や日記を書きます

HIRAETH:①

 

 

 

 子供のころ、僕の家には質の悪い紙しかなかった。強く書き込めば穴が開くし、消しゴムで擦ればすぐ破れてしまうような柔らかい紙だった。僕はそんな紙にいろいろな絵を描いたり、漢字の練習をしていた。その頃の東京は長く続く雨の影響でインフラなども全部止まってしまっていて、学校なんかも閉鎖されていたから僕は家で母から勉強を教わっていた。父は早朝に雨掃除に出かけては真夜中に帰ってきて少しの食料を机の上に置いて泥のように眠っていた。その姿を見て少しの憐憫と大きな尊敬の眼差しを父に送っていたことを覚えている。家は貧乏だったが両親からの愛情は人一倍受けて育った。当時、子供なんてのは一つの労働力でしかなく、親の雨掃除に付き合わされるか、水下で遺物を回収して売るか使うかのどちらかしかなかったのに、両親は僕に教育を受けさせることを選んだ。外に出て仕事をさせてくれない歯がゆさを父に訴えたこともあったが、物心つくころにはそんなことも言わなくなった。どうせ外に出ても雨と水しかない。周囲にそびえるビルたちも半分以上は水に浸かっていて、僕は甲板から灰色の空を見上げるしかやることもなかったし、家で勉強したり絵を描いていたほうが楽なのだと心のどこかで理解していた。それは両親の優しさに甘えていただけなのかもしれないが、そんな僕の甘さを受け入れるだけの心の広さがあった二人のことを僕は愛していた。早く大人になって両親を楽にしてあげたいといつも思うようになったし、そのために世界のことを勉強した。歴史は本というものに書かれていることや、昔はもっといろいろな仕事があったのだということ、母が子供のころは雨は毎日降っていなかったこと、父との馴れ初め、昔は太陽というものがあったこと、僕に雨の降らない世界を約束してくれたこと。全てが未来への希望となって僕の心にスッと落とし込まれた。この世界は絶望するに値しないこと、すべては自らの心が作り出す虚像のレンズを通して見つめるだけだから、何も気に病むことはないと父は言った。僕もそれを信じた。きっと未来は明るいのだと。

 

 だから、二人が甲板の上で水風船みたいになって死んでいたとき、僕の未来は真っ暗になった。母に声をかけても返事をしないので、助けようと右腕を引っ張ったら破裂して冷たい血が顔にかかった。水を吸ってぶよぶよになった灰色の肉片があたりにとびちって、骨が丸見えになっても母は声一つ上げなかった。あんぐりと空いた口には雨のせいかわからないけど水たまりができていて、船の電飾に反射してキラキラ光っていた。それを見て「ああ、母さんは水になったんだ」と思った。母の腕を引っ張るのをやめて父のほうを見やると体から水が漏れたみたいで、姿形はいつもの父に戻っていたが、母と同じようにぽっかりと空いた口に水が溜まっていて、それをみて同じことを思った。母の骨と父の肩を引っ張って二人を部屋に運んで同じベッドに寝かせた。不格好だったから目と口は閉じさせてもらった。きっと二人も喜ぶだろう。いつもベッドを濡らすと怒られたが、今日は怒られなかった。からだが寒いのでオニオンスープを3杯作ってテーブルに置いて一人で飲み干した。カップも自分で洗った。濡れた服を乾燥機に入れて新しい服に着替えてベッドに戻ると、二人はさっきと全く同じ格好で寝ていた。そのときようやく涙が出た。二人を殺した水が自分の中にも流れていることがわかって死にたくなって、でも死に方も思いつかなくて、母さんは死に方は教えてくれなかったななんて思いながら、泣き疲れて、眠った。