ガラスの大地

詩や日記を書きます

日記:喜びのデーモン

 

 

 

多大なストレスにさらされたとき、皆はそれをどうやって解消しているだろうか。
好きな音楽を聴いたり、サウナに入ったり、焼き肉に行ったり、大声で歌をうたったりだろうか。
ありきたりなストレス解消法ばかり思いつくけど、別にストレスはそんなんじゃ解消されないような気がする。
結局ストレスを生み出している根本の原因をつぶさなければ、次の日にまた同じことが起きてイライラするだけだ。
幸運なことに僕は寝ると前日のストレスが解消されるタイプなので、引きずったり悩んだりすることが少ない。
でも、継続的な苦しみは矢継ぎ早にやってくるので、いったん解消されたとてすぐに襲ってくるためとてもしんどい。
仕事がうまくいかないとか、彼女と大喧嘩しているとか、簡単には解決できない問題に直面したとき、僕らはどうやってそれを乗り越えてきているのだろう。
結論を言えば、取れる手段は2通りしかないと思う。つまり、逃げるか戦うかだ。そして、多くの人は逃げるのだと思う。
戦うよりも逃げるほうが明らかに消費カロリーが少ないため、すでに受けたストレスを増大させてまで戦ったところで、得られるものは「ストレスの原因」がなくなるだけだと考えると、あまりにもリターンが少ない。その原因が自分にあるか別にあるのかは置いといて、すでにマイナスになった生活を0に戻すためだけに戦うのはなんだか非常に後手に回った気がしてムカつく。原因が自分でないのならなおさらムカつく。
でも、僕は戦いたい。これはメリット/デメリットの話ではなくて、自分がないがしろにされていることを許している自分を許せないのだ。
原因が自分にあったとて、責任が自分にあったとて、なぜ舐められなくてはならないのか。ひどい扱いを受けることに慣れてしまう前に抗ってみたほうがいいんじゃないかなと思う。ただこれは理想の話であって、僕も多くの場合は逃げてしまう。だって楽なのだから。
そうやって舐められて、逃げて、いつの間にか自分自身の価値が下がっていって、そんな自分も受け入れて、、、の繰り返しを続けていると自分でもほんとの自分を忘れてしまう。かつての自分を思い出せなくなるほど擦り切れてしまったら、きっともう不可逆なんだ。

 

そんなこんなで生きている人って結構多いんじゃないかな。僕の身近な人で言えば姉貴なんかがそうだ。
死にたくなるほど残業をして、暴飲暴食でぶくぶくと肥え、酒を浴びるように飲み、結局男には見向きもされなくなって、実家に帰ってきてはヒステリックを起こしてから帰る。私たち家族のことは特に気にも留めない。多分それくらい追い詰められているんだと思う。彼女は昔からそうだった。いったい何が彼女をそうさせたのか、母の教育だったか単に環境の問題だったか。理由はなんにせよ、今限界を迎えているのならば、彼女には逃げてほしいと思った。恥も未来も、今がなければ生まれない。戦ってもいいのだけれど、だとしたら戦う相手を間違えている。僕らを相手に発散しても明日には同じ苦しみがやってくる。同じことを繰り返しても生産性はない。そうなってしまうくらい疲れているのならば僕らの手を握ってほしいと思った。こういうときに助けることが家族の役割だと思う。

 

僕自身のことを言えば、多分痛みを受け入れることを男らしいと考えている節がある。それこそストレスが僕を鍛え、強くしているのだと考えている。


 産まれし者よ聞け。生とはただ美しいものにあらず。
 生ける者には苦痛を知り、災難を知り、絶望を知る。
 あらゆる辛苦は振りかかり続ける。
 焼けた道を行けど褒賞はなく、道の傍らにはいつも、死が口を開いている。
 それらはお前を恐れさせ、嘆かせ、苛み、悩ませるだろう。
 だが、目を閉じてはならね。かくのごとき生を見据えよ。
 お前を打ちのめしている辛苦は、しかし、お前を弱くしてはいない。
 ひとつひとつが、焼けた鉄に振り下される鎚に似て
 お前を、強き剣と、成すだろう。

 

これはFF14に出てきた僕が大好きな一節だ。僕を打ちのめしている辛苦は、僕を強き剣にしている。
そう信じている。このストレスを無駄に消化して逃げることを僕は良しとしない。したくないと思う。
ウザい友達がいても、仕事がいかに苦しくても、なるべくそれらから逃げない。抗いたい。逃走は最後の手段にしたい。(逃走と闘争が同音なのおもしろ)
自分が弱いという自覚があるからこそ、そんな辛苦から逃げたくない。与えられたカードで戦い抜くことは僕たちの持つ権利だと思う。
最後まで戦ってから逃げればいい。世界の主人公は自分自身だ。
終わりにはきっと報われる。報いが幸か不幸かは知らないが、報いはかならずやってくる。
それまで自分を裏切らず、呪いを吐くことなく、戦い続け、時々休んでも逃げてもいい。
世界はクソったれでどうしようもなく壊れているから
どれだけあがいても惨めに終わる可能性だってあるけど
そうじゃない可能性だって同じくらいある。
命の喜びをあきらめないでほしい。どこにでも道はある。
明日も美味い飯を食いタバコを吸って生きる。映画も見るし、酒も飲む。
モテたいから運動もする。未来の喜びを求めて。