ガラスの大地

詩や日記を書きます

日記 : 逃げたら一つ、進んでも一つ

元来僕はネガティブでナーバスな人間である。

誰かの行動(自分も含めて)に感情が大きく左右されるわけではなく、そうされたくないから、そうならないように自分から保険をかけてしまう。

要するにものすごくビビりなのだ。


先日友人とご飯を食べていた時も「君はメンタルが弱いよね」と言われた。その時、僕は「確かに俺はメンタルが弱い」と答えた。ただ、友人がなぜそれに気付いたのかとか、どんな行動からそう思ったのかとか、聞きたいことは頭に浮かんでいたはずなのに、言葉になって出てきたのは自分自身を否定することばかりだった。


「俺は何も成し遂げたことがないから」

「でも今こんな感じのことをして、改善しようとしてるんだ」


相手よりも先に自分で自分を否定し、自分で自分を救うことでそれ以上の傷を負わないようにする保身的な行動。考えてみればいつもやっている気がする。こんなんじゃ前に進めないのではなかろうか。今になって後悔を呼んでいる。


前に進みたければ原因を分析して理解して、できることとできないことを分けて、改善案を模索する以外の方法を僕は思いつかない。

でも改善案を模索するのはとても怖いんだ。恐らくビビりの僕は、弱い自分を見つめることに大きな抵抗を持っているんだと思う。知らなかったほうがいいことなんてない、なんて言っているくせに自分のことを知ろうとしないのはお笑いにもならない。

こうやって自分を分析して文章に残して公表していること自体が、自分で自分の傷を舐める行為だということも認識している。だけど、多分そろそろ傷を晒してでも前に進むべきなのかもしれない。


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脳内がいつも煩雑で困っている。

一つの思いとしてそこにあることはわかるのだが、イエスかノーかでしか判断できないことが多いので困る。別に言語化しなきゃいけないわけでもないけど、自分自身を理解できていないことがモヤっとするので、いつも日和って次の一言が出なくなるのだ。


言葉が出ないもう一つの理由は、自分の価値観が今までいろんな不和を生んできたという実感があるからだ。

思い出したくもない大学一年生の日々。

あの時面白いと思ってブラックジョークばかり言っていた。

今思えばひねりもなければ教養もなく、好ましくない強い言葉を連呼するだけで、状況にはそぐわないし周りはそういうのが嫌いだったし、そもそも初対面だしで当たり前のように僕は友達が一人もいなかった。

友達できないな...と真剣に考えた結果、本当に嫌だったけどゲーム中の音声を録音して聞いてみたことがある。その時なぜ自分が嫌われているのかついに気づいたのである。

明らかに異質でウザったい低音の男が一人で意味不明なことを喚いている。「こんなん俺でも嫌いだわ」って思ったことを覚えている。


なんてことがずっと頭にあるせいで、他人と会話するときに一呼吸置くようになってしまった。正直いうと今でもやらかしてしまうことは何度もあるが、でも6年前と比べたらかなり良くなったと思う。

その代わり言いたいことは言えなくなった。

いや、言いたいことがなんなのかわからなくなったというほうが正しいかもしれない。


ということはつまり、脳内をもっと整理するべきなのだ。苦手なことがあるのならフォーマットを作るべきだ。劣っているのを認めることは弱虫の行動ではないはずだ。

 

「憤せざれば啓せず、 悱せざれば発せず」なんて孔子が言っていた。

つまり、理解できず憤るくらいでなければヒントは出ないし、もがき苦しまなければ答えは得られないらしい。

確かにそう思う。僕は憤らないしもがき苦しまない。そうならないように逃げ続けてきた。


この先は、憤して悱する必要がある。

そんな気がする。